陸上世界選手権(ドーハ大会)の男子50キロ競歩で、富士通の鈴木雄介選手が4時間4分20秒で優勝し、東京五輪代表に内定しました。
世界選手権で全種目を通じて日本選手の金メダルは、2011年の男子ハンマー投げの室伏広治以来、4大会ぶりの快挙で、競歩での金メダルは日本史上初となります。
タイムは競うけれども決して走ってはいけない競歩。
常にどちらかの足が地面に接していてかつ、前脚は接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝を伸ばすことというルールで、3人の審判がそれらに違反していると警告を受けた時点で失格になってしまうという厳しいものです。
鈴木雄介は『世界一美しい歩型』と称されているカリスマぶりですが、一度挫折しかけたのを経験しやっとの思いでトップに君臨することになりました。
実はこの鈴木選手は、かつて『情熱大陸』に出演しインタビューを受けていて、視聴者からは『ストイックすぎる』と、感銘を受けていました。
そこで今回この記事では、競歩・鈴木雄介選手について、
- 簡単なプロフィール
- 競技記録
- 『情熱大陸』で語られた内容
をお伝えしていこうと思います。
鈴木雄介(競歩)プロフィール
スポンサーリンク
基本情報
まずは鈴木雄介選手の基本情報から。
(出典:http://mounten-f.com/?p=794)
- 生年月日:1988年1月2日
- 出身:石川県能美郡辰口町
- 身長:170cm
- 体重:57kg
170cmの57kgなら、少しやせ形の体型ですね。
一般的に競歩に向く選手というのは、身長が高いことが挙げられ、最低でも170cmは必要と言われています。
鈴木選手はその一般論のちょうど下限値で、これまで世界陸上に出場した最小の選手で171cmですから、競歩の世界選手の中ではかなり低身長なほうだといえるでしょう。
そして、体型的にも骨太なほうが大成しやすいと言われていますが、鈴木選手はやせ形。
先ほどの身長ともあわせて、体つきの面では不利だったことになります。
しかし、メンタル的には強いことが求められます。
競歩は3キロ地点から一気に苦しくなると言われており、それを乗り越えるメンタルが必要と言われていますが、鈴木選手は体型の不利をカバーできるほどの強靭なメンタルの持ち主でした。
その辺はこの後に解説しますので、お楽しみに。
出身中学校
鈴木雄介選手の出身中学校は『辰口町立辰口中学校』というところです。
(出典:http://cms1.ishikawa-c.ed.jp/~tatsukuj/NC2/htdocs/index.php?page_id=0&pcviewer_flag=1&nc_session=l8vajjeq4bu650o4basnej2r36)
彼は中学生の時点で競歩選手としての才能の芽を見せていて、3,000mと5,000mで中学校最高記録をマークしています。
出身高校⇒大学
続いて、出身高校は『石川県立小松高校』で、地元の学区の公立高へ進学しました。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1)
実はこの高校、石川県内トップクラスの学校で、偏差値は68あります。
頭もキレるんですね。。
そして、スポーツ選手が本当の意味で頭角を現すのは高校時代からということは彼も知っており、もし高校の競歩で結果を出せなかったら、普通の社会人として企業に就職しようと考えていて、中学校での栄光にすがることなく、自分を追い詰めていました。
その覚悟があってか、高校時代でも、
- アジアジュニア陸上競技選手権大会
- 世界ユース陸上競技選手権大会
いずれも10キロに出場し、インターハイで優勝するなどの功績を残してきました。
大学はマラソンでも有名な『順天堂大学』。
大学でも世界ジュニア陸上競技選手権大会(10キロ)で銅メダルを獲っています。
(出典:https://www.juntendo.ac.jp/hss/news/20090130-01.html)
競歩に目覚めてから現在まで
大学卒業後は富士通に所属し、そこでも競歩を続けました。
そして、学生時代に味わったことのない苦難を経験することになったのです。
2010年に富士通には一旦正社員として入社しましたが、2014年には競歩に専念したいということで、自ら嘱託社員になることを申し出たそうです。
そのことからしても、競歩にかける想いの強さを感じますね。
しかし、翌年の3月に20キロ競歩の世界記録をマークして一層注目を浴び全国の期待値が高まるや否や、恥骨付近を痛めるトラブルに見舞われました。
診断結果は恥骨炎。
九州など約10カ所の病院や治療院を回って治療を受けても痛みは治まらず、ストレスからお菓子の食べ過ぎで体重も増えてしまいました。
同年8月23日の世界陸上には何とか出場し、先頭集団に喰らいついていくも、11キロを過ぎたあたりで途中棄権する事態に見舞われました。
「最初から痛みがあり、7~8キロで痛みが強くなって我慢したけど、完歩するより今後のことを考えて棄権した」
本人は悔しかったはずです。
病院を転々とした結果がこれだったので、先が見えず引退を考えた時期もあったそうです。
(出典:https://www.iza.ne.jp/kiji/sports/photos/150823/spo15082319050074-p1.html)
しかし2017年、埼玉のとある整形外科がサッカーの外傷などの権威であることを知り、「最後の最後。ここで駄目なら諦めよう」と決意して通い、マッサージなどのリハビリを始めると痛みは次第に和らいでいきました。
2018年5月に開かれた東日本実業団選手権5,000メートルで2年9カ月ぶりに実戦復帰した後、急激に調子を取り戻していきました。
表向きは引退をちらつかせていながら、決して諦めなかったのは強靭なメンタルの証拠でしょう。
過去の競技記録
スポンサーリンク
鈴木雄介選手が社会人になってからの競技記録を見ていきましょう。
『情熱大陸』の放送で語られた内容とは?
2015年8月に鈴木選手は『情熱大陸』に出演していました。
(出典:https://site.garapon.tv/social_gtvid_view?gtvid=1SJP7FC31440340200)
視聴者からは『ストイックすぎる』という感想が目立っていました。
まずは、食事制限について。
合宿中の食事内容が取り上げられていて、昼間は炭水化物をほとんど摂らないと言われていました。
また、その頃は北京での世界陸上を終えたばかりでしたが、その大会で棄権したことも取り上げられていました。
スポーツ選手は、多少故障しただけならだましだまし休まず続けて、結局傷口を広げてしまうことも少なくありません。
しかし、彼は違いました。
恥骨炎の痛みがありながら11キロまでは歩いてしまったものの、先々の選手生命のことを考え、歩き続けたい気持ちをグッとこらえて棄権という選択肢を取りました。
観戦している人は結果だけに着目しがちなことは彼も分かっていて、やはり棄権したことに対する非難の声もあったようです。
歩かなきゃ非難され、休まなきゃ身体が故障する。
この頃の彼は本当に葛藤状態だったはずです。
番組では、取材をしようと近づいてきたスタッフに対して、『×』サインをするなど故障中の彼がいかに気が立っていたかが伝わってきました。
(出典:https://twitter.com/hashtag/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%9B%84%E4%BB%8B%E9%81%B8%E6%89%8B)
しかし、その経験が今回のドーハ大会に活きていたところもあり、それがレース終盤での給水でした。
普通は歩き続けながらの給水ですが、彼はそこを一旦立ち止まって、しっかり水分補給に専念しました。
2位の選手に対して2~3分のリードがあったとはいえ、勇気のいる決断でした。
「脱水になっているのは分かっていたので、給水しなきゃいけなかったんですけど、歩きながら飲むのはきつかった。戦略的な給水。一回止まってでもしっかり給水して歩こうと」
と冷静に考えられたことも、今回の優勝に繋がったのは間違いないでしょう。
30代前半で目先だけを見ずさらに先を見据えた行動ができるのも、トップアスリートならではだと考えます。
まとめ
陸上世界選手権ドーハ大会で、ぶっちぎりの優勝を果たした鈴木雄介選手について取り上げてきました。
彼の強さの秘訣は、とにかく今・目先だけを見ないこと。
中学校時代から頭角を表していましたが、プロのアスリートになれるかどうかの真価が問われるのは高校生以降。
若いながら彼はそれを理解していて、中学記録を作った栄光にすがる素振りは一切見せず、『高校で結果が出せなかったら、普通に就職する』と、自分を追い詰めました。
高校でも変わらず順調に結果を出していき、本格的に競歩に専念するため、大手・富士通の正社員という肩書きまで捨てて本気で競歩に取り組みました。
しかし、2015年に恥骨炎を発症して病院を転々とするも良くならず、あまりに先が見えないために引退も考えたといいますが、彼の内面は決して諦めておらず、2年後に復帰がかなうことになりました。
当時の彼のことは『情熱大陸』で取り上げられ、彼の姿勢には視聴者たちは口々にストイックだと感銘を受けていました。
ストイックなうえに先を見据えた冷静さ。
体型的には競歩にあまり向かないはずの鈴木雄介選手ですが、その2つが強力な武器になって今回のドーハ大会の優勝に繋がったのではと考えています。
スポンサーリンク