スーパーDioZXとの出会い
原付免許を取ってすぐに友達から譲ってもらったのが、初代のつれあいスーパーDioZX。
17歳~21歳までの4年間、立派な相棒として活躍してくれました。
そんなZXと初めて走ったのは、大阪市内一周。
免許がなかった頃、気の合う仲間同士で自転車で走ったコースがあって、その時と同じルートで走りました。
自転車なら丸1日かかるところを3時間で走破でき、それまでの数十倍もフットワークが軽くなった実感があった一方で、何だかあっけないというか…
自転車の頃はあんなに苦労したのに。。
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ただ、当時親はものすごく厳しく、『普通免許を取るまで原付はダメ!』と言われていた中で、こっそり原付を持っていました。
友達にもそのことを話して、しばらくは彼の家(マンション前)に置かせてもらっていました。
原付だから維持費なんてあってないようなものだし、ガソリンもほぼ空の状態から満タンにしても¥500程度。
これだけリーズナブルに行動範囲がグッと広がるなんて、夢のようでした。
大阪から京都や神戸、奈良など他県まで走ることなんかザラにありました。
自転車だったら、せいぜい隣の市町村ぐらいなもので、何だか、ZX1台だけで全国制覇できそうな気がしていました。
ボアアップをして72ccへ!これが地獄への入り口に…
出会った当初は『これ以上何もいらない!』と思えるぐらい大満足でしたが、原付は法的な縛りがキツくて、長く乗っていると(とはいっても当時で2年ぐらいでしたが…)それが窮屈で仕方ありませんでした。
友人が持っていた100ccのスクーターが超うらやましくて、自分もそれに乗りたいと思って新たに免許を取りました。
その頃はバイトもしていましたが貯金はほとんどせず、お金はあったらあるだけ使うような生活スタイルでした。
なので、新しく欲しいバイクを買うことができなかったので、自分のZXを脱原付化すべくボアアップ(エンジンのシリンダーを取り替えて排気量を上げること)し、ナンバープレートも新しく作ったのでした。
しかし、そうしたことが地獄の始まりだったことはその時知る由もありませんでした。
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ボアアップキットは、排気量を上げるという優れた機能の割に値段は安く、¥20,000でお釣りが来るぐらいでした。
その時すでにZXにレース用部品を装備したりなどイジり慣れていて、サービスマニュアルまで持っていました。エンジンシリンダーをバラすのもマニュアルで予習して簡単そうだったため、自分で作業しました。
キットの取説もあらかじめ読みましたが、取り付け後の注意事項にはやたらと厳しいことが書かれていて、
- 最低1,000キロの慣らし運転が必要
- 72ccの大排気量は混合ガソリンを毎回入れる
- メインジェットを上げて、少しカブり気味にする
などなど、扱いをシビアにしないとすぐに焼き付いてしまうと書かれてありました。
一応、取説に書かれていることは守って使っていました。
免許を取って、ナンバーも新しく取り替えて、ZXは72ccとしてデビューしました。
二段階右折、30キロ縛り、二人乗り
これらがみな解禁になったのは念願でしたが、乗るバイクは変わっていないので新鮮味はありませんでした。
慣らし運転の間も、取説に書かれていることは守っていましたが平気で2人乗りしていました。
決められた慣らし運転の期間が終わってしばらくしたある日、2人乗りで結構飛ばし気味で走っていました。
アクセル全開近くで十数分走っていて、『そろそろ抑えとかないと焼き付くかな…』と思ってアクセルを全部戻した瞬間、
ブルン、ブルン、ボボボボ…
まるで、強くブレーキを握った時のように失速し、そのまま止まってしまいました。
その後、セルでかけてもキックでかけても、エンジンは動いてくれません。
その頃、地元の行きつけのバイク屋があって、チューニングの話をしても割と相談に乗ってくれる所だったので、困ったら構わず通っていました。
そしてその時のことを話すと、
『あ~、確かボアアップしたんだろ?間違いなく焼き付いたわ。ちょっと、バラしてみろよ。』
と言われてシリンダーをバラしたところ、シリンダーの丸い穴の内側にタテ向きに筋が入っていて、相手側のピストンも同じようになっていました。
『こりゃ相当派手にやったなぁ~。軽い抱き付きぐらいなら紙ヤスリで磨いたら復活することもあるけど、ここまでのはどうにもならないよ。』
と言われ、2万円のシリンダーが一瞬にしてパーになりました(泣)
それでも懲りずに同じシリンダーを2回買い直し、通算3回も焼き付かせてしまったのでした。
それだけエンジンに負担をかけてきたので、とうとうエンジン下半分のクランクケースまでガタつき、エンジン丸ごと交換する羽目になりました。
あれだけ通いつめたバイク屋だったので、多少サービスはしてもらえましたが、事が事だけにダメージは大きかったです。
好き勝手に乗り回しただけでこんなに簡単にあっさり焼き付くようなチューニングはもう懲り懲りでした。
パーツショップの店員も、『ボアアップキットはあまりお勧めできない』と言ってましたが、その頃ようやく分かったのでした。
ZXとの別れ
21歳になったある時、弟が16になって即原付免許を取りました。その時すでに250ccのバイクも併せて持っていてそっちの方をメインに使っていたので、ナンバーを原付に戻す登録をしてZXを弟に譲りました。
兄弟仲は良く、ときどきお互いの友達も巻き込んで遠くへ足を伸ばすこともしばしばありました。
しかし、ある時行きつけのバイク屋の前で盗難に遭ってしまいました。
それも、断りを入れて預けたわけではなく、弟が勝手に放置していた時に起きた盗難でした。
弟に譲った時点で自分のものではなくなっていましたが、それまで自分の目の届く所にあったので、何だか寂しい気持ちがありました。
別れは突然でした。
盗難届は出しましたが、出てくるはずなんてありません。
他県まで足を伸ばしたり、ボアアップしたりしましたが、ZXはそんな私の無茶にも応え本当によく走ってくれました。
こうして、私の初代のつれあいとは4年で幕をとじることになりました。
原付に乗ってて良かったこと
私の場合、自転車とサヨナラしてラクしたかったという動機で結局大きいバイクが欲しくなってそっちに移りましたが、結果的にそれがよかったと思っています。
原付でもきちんと運転免許を取らないと乗れないから、大きいバイクや車と同じ扱いになるので、道路の走り方の基本が分かってきます。
しばらく原付に乗ってそのへんを自然と身につけられたので、あとあと大きいバイクにステップアップするときにあまり違和感はありませんでした。
もし、いきなり大きいバイクに乗っていたら、車道を走ること自体に慣れていなかったので、事故を起こしていたかも知れません。
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